いつどこをひらいてもいいんだよ と
言ってくれているような本を読むことが多い。
詩集はたまたま開いたところを読むし、
絵本は絵や写真を気ままに眺めて
そこにあることばをモグモグ反芻してみたり、
短編小説は気になるタイトルを一話だけと、
かなりいい加減に楽しんでいる。
それで、ときどきそこにわたしなりの、
特別とか本物を見つけてゾクっとするのだ。
この前も突然ポッカリと時間が空いて、
地下鉄の駅ナカにある喫茶店で、たまたま
古本で買って持っていた「アメリカ名詩選」を開いた。
たまたまT.S.エリオットのページで、
「そういえば高校の生物の先生が、
この人を紹介してくれたな」とか思い出しつつ、
何気なく読んでゾクっとした・・。
都心の地下鉄の喫茶店で珈琲を飲んでいるわたしのあたまの中で、
"街の角では馬車馬がただ一頭、湯気を吐き吐き足踏みをする"のだ。
その後は、普段通りの日常にもどって、
ふつうに人に会ったりするのだけど、
さっきまでの気分も世界も、読む前とは全然違う。そういうことが起きるのが、面白くてほんとうに好きだ。
いつか、こんどは夏の終わりの夕暮れじゃなくて、
詩と同じような冬の日の午後六時に同じページを、
もう一度、開くことがあるかもしれない。
もう一度、開くことがあるかもしれない。
そう期待して、それを忘れてしまうのもまた面白い。
何度も開いたり、眺めたりしたくなる本はいいな。
そういう本を、少しずつ間をあけながら、
生活のなかで繰り返し読みたい。
食べるみたいに。
そんなこと思います。
Preludes T.S.Eliot
I
The winter evening settles down
With smell of steaks in passageways.
Six o'clock.
The burnt-out ends of smoky days.
And now a gusty shower wraps
The grimy scraps
Of withered leaves about your feet
And newspapers from vacant lots;
The showers beat
On broken blinds and chimney-pots,
And at the corner of the street
A lonely cab-horse steams and stamps.
And then the lighting go the lamps.
前奏曲集 T.S.エリオット
I
冬の日暮れが腰をすえる、
路地うらのステーキの匂いとともに。
六時です。
煙たい日々の燃えのこり。
それから吹き降りのにわか雨に、
煤まみれの枯葉のくずや、
空き地からきた新聞紙が
しつこく足にまといつく。
雨脚がこわれたブラインドや、
煙突の先に叩きつけ、
街の角では馬車馬がただ一頭、
湯気を吐き吐き足踏みをする。
それから街灯に灯が入る。
岩波文庫「アメリカ名詩選」亀井俊介・川本皓嗣編より
こちらがそのときの、T.S.エリオットの詩の一部です。
詩 "前奏曲集" は I〜IVの4つに分かれています。
II〜IVと、つづきが気になる方はぜひこちらの本で。
装画はアンドリュー・ワイエスの "クリスティーナの世界" 、
とてもかっこいい本です。下の注釈もおすすめ。
注釈で、この詩が学生エリオットの作だと知り、
情景がいっそう胸にせまるのでした。